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ホワイトビル・ウォッシング

シンクロ3チャンネル・fullHDビデオ、サウンド 11’50” カンボジア、プノンペン 2012 2012年に文化交流事業の一環でカンボジアのプノンペンに3ヶ月滞在した。滞在先はSa Sa Art projectのスタジオが入っているスラム化したビルの一室。到着する前、何度も「東京の居住スペースと比較しないでくれ」と念を押される。そのホワイトビルと呼ばれる建物の前に到着したのは、もう夜更けだった。ビルの前には売春婦とポン引きがバイクにまたがってたむろしていて、その前には異臭を放つコンテナにゴミが山積みになっていた。言葉を失いつつも、暗闇のビルの中を現地アーティストを頼りに進んでいく。悪臭が鼻に付き、子どもの声やテレビの音がもれてくる。やっとたどり着いた居住スペースは10平米にも満たない小さな部屋だった。部屋の隣はこのスラムに住む生徒や学生向けのワークショップをおこなうスタジオになっていた。古い和式便所のようなトイレには大きなコンクリート製の水槽があって、そこに溜められた水で便を流したり、身体を洗う。窓は鉄製の柵がしてあるが、ガラスや網戸などはない。虫は自由に出入りできる。「ホワイトビル」という名前が冗談のように、壁や階段は長年の汚れとすすやカビなどで黒ずんでいた。 そんなスラムでの生活も徐々になれた頃、隣に住むコーヒーショップを玄関先で営むおばさんが「廊下や階段が臭くてしょうがない。ヘロイン中毒者が立ち小便や大便をするので、なんとかしてくれ」とSa Saのメンバーに相談していた。それをたまたま聞いていた僕が、手を挙げた。 掃除のプランを考えていくうち、僕がこのビルを掃除してもあまり意味がないように思え、住民たちに声をかけていくことにした。掃除のイベントだ。洗剤、ブラシ、箒、バケツを市場で用意して、人々にスケジュールを説明する。撮影はカンボジア人アーティストと僕が担当し、ホワイトビルに向き合って建つ国会関係監査省(カンボジアの中央省庁の一つ。国会議員、及びその職員の汚職払拭。 業務が公正に行われているかの監査など)からも撮影することになった。ビルの掃除当日。初めは1人、2人の参加者でどうなるのだろうと思っていたが、徐々に参加する人が増え、そのコミュニティのほとんどの家庭がなんらかのかたちで掃除に関わっていた。ホワイトビル始まって以来の大掃除は、住民たちが階下に人がいることなどお構いなしに汚水を流してしまうくらい狂躁的になっていった。長い年月のあいだ積み重なった汚れや壁の傷は消えないが、溜まっていたゴミや汚物もきれいに流され悪臭は消えた。 イベントの終了後、その近隣の人たちととても身近に接するようになった。言葉は通じないが、毎晩のように晩餐に誘われ、部屋の前の通路に椅子を出して近所の人たちと氷入りのビールを飲んでいた。そして僕自身、廊下を通るときや、ちょっと外に出る時には裸足で歩き回るようになっていた。 4年後、改めてホワイトビルを訪れる。住民たちは覚えてくれていて、またビールの宴が繰り広げられた。そこで聞いたのは、あのイベント以降、掃除をするための組織を作って、定期的にみんなで掃除するようになった、とのことだった。しかしそんなホワイトビルもデベロッパーに買い取られたらしく、近々出て行くしかないだろう、とのことだった。このスラムの周辺には中国系や日系のショッピングモールができた。屋上に上がり見渡すと、このホワイトビルだけが取り残されたように佇んでる。 2017年夏、日系企業によりホワイトビルは解体された。

路上のコスメトロジー

シングルチャンネル fullHD ビデオ、 サウンド10’55”ベルリン, ドイツ2012 アーティスト・イン・レジデンスの機会をえてベルリンに三ヶ月滞在した。近代化と公衆衛生と日本との関係を取材し考察することが当初のプランだった。また地理的な特徴としてベタニアンのあるクロイツベルク地区のジェントリフィケーション(低所得者地域の再開発や改善)にも関心があった。公衆衛生が広まる過程とジェントリフィケーションが重ねて捉えられるように思ったのだった。公衆衛生という人間にとっての善と地区の改善、どちらも有用性によってはかられる。 滞在期間中、街に落ちている糞にオキシドール(過酸化水素水)やアルコールで除菌したり(衛生的アプローチ)、表面にペイント(審美的アプローチ)したりした。そのようなフィールドワークを30数ヶ所くりかえしながら、最終的には美容にまつわるアプローチで路上の糞に向き合っていた。